AI時代に考えなければいけない「定量化できない」もの

 
 この記事はNetflixオリジナルのブラックミラーのシーズン3,「殺意の追跡」という映画のレビュー・感想です。
 
 「ブラックミラー」というシリーズは、現代・近未来において、何かしらのテクノロジーが社会の中に成立した世界を舞台としています。その舞台の中で物語を展開することによって、現在・近未来のテクノロジーが私たちにどのような影響を与えるのか、私たちをどのように変えてしまうのか、ということを訴えかけています。

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定量化される時代

 近年トレンドとなっている「ビッグデータ」という言葉があります。最近は少し落ち着いてきたように思えますが、それはその概念が廃れたわけではなく、逆に根付いたからに他なりません。データという概念が私達の社会にとって、とても根深いものになってきたのです。
 
 「データ」という言葉を聞いた時連想するもの何でしょうか? PCやスマホが私たちの生活の必需品となった現代においては、LINEの履歴とか、撮った画像とか、SNSに投稿されているフィードだったりするかもしれません。確かにそれらは情報技術で使われるデータでできていますので、私たちに一番身近な存在だと言えます。
 
 しかしデータという言葉がもたらす一番重要な概念はは「定量化」ということです。
 
 定量化とは「ある対象を定義された単位で量化すること」です。
 
 例えば、目の前にダンボールが5個あり、それぞれにりんごが10個ずつ入ってるのを想像してみたください。ダンボールにぎっしりと詰まったリンゴと、その同じダンボールがいくつかある状態です。
 
 はい、「個」というのが「定義された単位」であり「5」というのが「量化」です。「個」という単位と量を定義することで、「りんごがどの位あるのか」という問いに「あいまいさ」をなくして答えることができるようになります。もし「個」という単位がないと 「リンゴがどの位あるのか」という問いに、「あいまいさ」を残したままの答えしか答えられなくなってしまいます。
 
 「定量化」というのは、このように「あいまいさ」をなくして、的確に物事を考えられるようにする方法論です。近年のデータブームは、様々な曖昧な部分を定量化することによって的確な答えを求めるようにしているのです。
 

定量化されない重要なもの

 しかし、いくらブームが起きたからといって、また技術が進歩したからといって、全てのものが定量化できているわけではありません。
 
 「人の心」という曖昧さなくして語れないようなものは、未だに定量化することに成功していないのです。もし定量化が成功したとしたら、人間をデータで再現できるということになり、完璧なAIができることでしょう。だけど、まだまだその道程は遠いように感じます。
 
 ですが「人の心」というのは言わずもがな、とても重要なものです。「人の心」は定量化できていませんが、古くから多くの人が試行錯誤をして考えています。それは思想や哲学という形であったり、実際に行動の跡である歴史というもので考えられたりしています。定量化できないからと言って、思考対象にならない、というわけではありません。
 

「憎しみ」という定量化されないもの

 この「殺意の追跡」では、その定量化できない「人の心」、その中でも「憎しみ」というものを扱っています。
 
 近年の情報社会は定量化できる部分に注目がいきがちです。SNSでの人々の投稿や、GPSでの行動履歴、購買履歴など様々なものが定量化され活用されています。しかし、その一方で定量化されない部分に関して疎かになっているのではないでしょうか? 定量化できるものばかりに目が行き、その背景で動いている「定量化できないもの」という存在をついつい忘れてしまってはいないでしょうか?
 
 「憎しみ」というのはもちろん、目に見えるものではないですし、何か単位があって、数えられるようなものではありません。「あなたの憎しみは140ヘイトね」などという言い方はできないのです。この映画ではこの「憎しみ」というものをある意味「定量化」した世界を描いています。どのように定量化しているのかは、ぜひ映画を見て確認してみてください。その手法に脱帽させられます。
 

定量化できない、重要なもの

 この映画を見た後に思うことは、「目に見えないもの」「定量化できないもの」への関心を取り戻そう、ということです。考えやすいものばかりを考えることによって、もっと重要なものへの関心が薄くなってしまっていることに気付くべきなのです。
 
 今後、技術の発展に伴って、「定量化」できる部分というものは広がっていくことでしょう。それでも「人の心」など、そうできない部分は残されていくはずです。AIの普及によって定量化作業が効率化される近未来、私達人間が最も貢献できる部分はココです。
 
 定量化されるものは全て機械・AIに任せてしまえばよいのです。その分空きができた人々の思考力・認知体力を「定量化できないもの」に集中させることができるようになります。もちろん定量化をベースにした方法論を疎かにしていいわけではありませんが、今後はそれ以外の部分も同じくらい重要であるということです。
 
 人間にしか分からない「人間」と言うもの、曖昧さを持っているからこそ重要である「人の心」を、私たちは今以上に関心を持たなければいけません。