「検索」の時代に「知識」は本当に不要なのか?

 

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 インターネットが普及した世界で最も革命的だったのが「検索」ではないでしょうか。インターネット検索と言うものは昔からありましたが、その精度・有効性を考えた際に革命だったのはやはりGoogleの誕生でした。
 
 「ググる」という行動を行えば、私達が知りたいこと・必要なことを簡単に調べることができます。もちろん最近起きたWelq問題の様に、その信憑性は問題になるかもしれません。しかし、そのデメリットを差し引いたとしても、その重要性は絶大なものになるはずです。世界のあらゆる人がWeb上に流した情報を、検索ワードを用いることで即座に知ることができるのです。
 
 そういった世界が実現した現在、「知識は全て検索で賄うことができるのだから、知識をもう必要ない」という意見をよく聞くようになりました。特に教育問題について問われる時、知識重視(詰め込み)の教育ではない教育が今後は重要である、という事が言われるようになりました。
 
 この提言はとても的を得ているように思えるでしょう。確かに、年号や化学記号を丸暗記する、決まった計算方式を覚えるなどの知識を積むだけでは、現代や将来の社会では通用しないでしょう。
 
 しかしこの事実と「検索が可能な世界で知識は必要ない」という話は全く異なると思います。これは「検索」の性質を根本から勘違いしていることから生まれる意見です。
 
 
検索というのは知識を0から1に作りあげてくれるものではありません。1を100にしてくれるものなのです。そして0を1にするのは、検索以前の「知識」に他ありません。
 
 今回私が言いたいことは、「検索」ができる世界だからこそ「知識」が必要だ、ということです。
1を100にするための1を作ることが重要なのです。
この事を説明するために、まずは「検索」の性質について書きたいと思います。
 

検索とは「知りたいことを調べること」

 検索という行動は、Googleなどの検索エンジンを使って、フォームにキーワードを打ち込み調べるというものだと思います。自分が疑問に思ったこと、知りたいことを上手くキーワードに落とし込み、検索結果に出てきた最良のものと思われるものを閲覧すること。それが検索という行動の実態だと思います。
 つまり「検索」というのは、あくまで人間が疑問に思う、を起点に動いているということです。人間が「疑問に思う」から「検索」という行動が生まれているのです。この「疑問に思う」が0を1にすることにほかなりません。検索キーワードなどのテクニックはある程度必要ではありますが、世界の人がweb上に上げた情報を、上手くすくい上げることができるのです。
 

「知りたいこと」が分からないと検索はできない

 繰り返しになりますが、「検索というのは人間が疑問に思うことを起点にしています」。疑問に思えれば検索は限りない効果を発揮しますが、疑問に思わなければどうでしょうか。そこに検索という行動は発生しません。
 つまり、「疑問・知りたいこと」を思いつかなければ、検索という宝刀はその切れ味を失います。検索の意義というのは、あくまで「ベースにある疑問・知識を拡張すること」なのです。ベースが無ければ、拡張するものが何も存在しないということになります。1が無ければ100を生み出すことができないのです。
 少しそれますが、所謂「情弱」と呼ばれる人は、このような検索のベースを持っていない人達のことです。ベースを持っていないと、「検索しよう」「調べれば分かる」という概念すら発生することがなく、簡単に悪意ある情報や誤情報に騙されてしまうし、検索が与えてくれる情報の広がりも全く享受できないのです。こうして検索のベースを持っていて検索の力を存分に享受できる「情強」と取り返しのつかない差が生まれてしまうのです。そして0と100の差が生まれてしまうのです。
 

生き残れるのは「検索できる人」

 先程「検索のベース」と書きましたが、それは一体何なのでしょうか。私はそれが「知識」であると思います。知識を得ることによって、捉えどころのない世界を、上手く言語化することによって、自分の中に取り入れることができます。少し抽象的な言い方ですが、「知識を得ることによって、その人にとって初めて、その対象が世界に存在する」ことになります。そうして世界に関わるベースを養ことにより、そこから「知りたいこと」を考えつくことができるようになります。0から1を作り出すことができるのです。
 
 検索が当たり前になったからこそ、それを使いこなせる人と使いこなせない人では雲泥の差が生まれます。これは検索に限った話ではなく、テクノロジーとは常にそういった側面を持っています。しかし個人的にですが、検索というのは他のテクノロジーにも増して、使いこなさなければならないテクノロジーなのではないでしょうか? 世界のことをより良く知れると言うのは、私達が社会を生きていく上で最も重要な要素になるのではないかと思います。0と100では比べようもない格差が生まれてしまいます。
 

まとめ

 検索できるということは、あらゆることを疑問に感じることができる、ということです。疑問に感じるというのは、世界に起きている問題を見つけることができるということです。問題解決できる人になるためには、まず問題を見つけられる人にならなければいけません。
 知識を積み上げることによって、世界に対しての視点を広げることによって、「検索」できる人間になり、世界にある問題を解決できるスタート地点に立つことができるようになると思います。