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クリスマスは何故楽しまれるイベントになったのか?

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 クリぼっち

 クリぼっち(クリスマスにぼっち)という言葉があるそうです。私はこのワードを今年始めて聞いたわけですが、いかんせん響きが良い言葉なので使っていこうと思います。
 
 ところで「クリぼっち」についてはこんな記事が出ていましたね。 

www.news24.jp

■20代から30代の男女に「クリスマスを誰と過ごすか」アンケートを行ったところ、1人で過ごす人が半数以上になっていることがわかった。

・1人で過ごす 52.2%
・彼氏・彼女と 25.8%
・友人と 11.2%
(出典:レオパレス21 ひとり暮らしをする社会人20代~30代 男女600人対象)

 

  記事をよく見ると、このデータは20~30代の一人暮らしの男性女性が対象です。所謂若者と呼ばれる世代、かつ同棲や実家暮らしではない人が母数集団であるということです。同棲している人や実家暮らしでぼっちの人がどの位いるのか分かりませんが、それでも結構な数の若者がクリスマスにぼっちで過ごしているということですね。

 
 でも、そもそもどうしてただの平日にぼっちでいることがニュースになり、「クリぼっち」なんていうワードが作られてしまうのでしょうか。キリストの聖誕祭でしか無い日を、特別扱いすることの方がよく分からないことなのではないでしょうか? どうして日本ではクリスマスイベント=「楽しむべきもの」として社会で認められているのでしょうか。
 
 一応日本においてのクリスマスの起源としては
が詳しいのでこちらを参照してください。
 
 

クリスマスは何故楽しまれるものになったのか

 この記事で言いたいことは、どうしてクリスマスが現代において「楽しむべきもの」として認識されているかです。
 
 もちろん色々な企業が戦略としてクリスマスを活用して利益をあげようとしているが、ここまでの規模のイベントになった原因ではあると思うのですが、主な理由は違うところにあると思います。ですがここまでクリスマスが騒がれる理由は別のところにあると感じます。それは
 
人々がただ単に楽しみたいが故に、クリスマスイベントを「楽しむべきもの」と認識するようになった
 
ということです。(非常に抽象的ですいません)
 
 私が思うに、人間には本来生きている意味などありません。ただ偶然に生まれてきて、生物的活動を行い、そして寿命や病気など生物的な停止が訪れた時に、その人生が終わるだけです。ということは本来的な意味においては、人間がこの世界で活動する意義など無いはずです。それでも人間は「意義」を見出したい、「幸せ」に生きていたい、という欲求を持ってしまっています
 
 本来的にその解決方法が無いのであれば、人間は一体どうやって人生の意義や幸せを感じているのでしょうか?
 
 それは自らが「人間にとって都合の良い(幸せを与えてくれる)フィクション」を生み出すことです。例えば、宗教はある人達にとって生きる意義や幸せを与えてくれます。普段の生活に生きる意味を導き出すことができなければ、この世界で生きていくことが難しくなってしまいます。そういう意味で、宗教は人間が生み出した、「自分たちを幸せにしてくれるフィクション」だと言えます。
 
 ではクリスマスイベントはどうでしょうか? クリスマスイベントも同じことだと思います。
 その本来的な意味は「キリストの生誕祭」でしかありません。しかしそこにサンタクロース、プレゼント、イルミネーションなど様々なものをフィクションから生み出すことができれば、それらは人間にとって「幸せ」をもたらしてくれるものになります。クリスマスの実際の意味などどうでもよく、自分が幸せを与えてくれれば、それで良いのです。
 
 クリスマスイベントを純粋に楽しむことができる人達は、そのような「自分を幸せにする方法」を良く知っているのです。本来的に意味など無い人生を華やかに色付ける方法論を無意識に感じ取っています。クリスマスイベントという「自分に幸せをもたらしてくれるフィクション」をしっかりと活用できているのです。
 
 このように、クリスマス=楽しむもの という構造は人間にとってとても有益なものであると思います、無味乾燥な人生に幸せを与えてくれるからです。そういう意味で、クリスマスは素晴らしいイベントだと言えます。
 
 

楽しめない人はどうすれば良いか?

 ではそれらを素直に享受できない私たちはどうすれば良いのでしょうか。
 それにはやはり、他の人達と同じように「自分にとって幸せなフィクション」を見つけ出すことにほかなりません。それはアニメを見たり、ゲームをしたり、もしくは相当に特殊なものかもしれません。けれど「自分にとって」の有用なフィクションを見出すことができれば、その人は今後幸せに生きていくことが可能なのかもしれません。
 
 まぁ人は承認欲求を持っていますので、純粋に「自分にとってのフィクション」を探すのは難しいことです。本当は楽しくても、多くの人から良い目で見られなければ、楽しめなくなったりしますからね。「自分にとって」と「周りから見て」の幸せを、良いバランスで見つけるしか無いのかもしれません。
 
 
 ちなみに私は、クリスマスという幸せを存分に享受している人達を、ケンタッキーの店の中から1人で眺めながら、この記事をを書いています。