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現実通信社

考えすぎるくらいが楽しい

どうして結婚する人が減ってきたか。それは単にリスクを知るようになったから。

考えたこと

 なぜ結婚する人が少なくなっているのか考えてみました。

 
 結婚する人は少なくなっているとはいえ、自分の生活の中では比較的まだまだ身近な事なのではないでしょうか? とりあえず「婚姻率・離婚率」というグラフを見つけたので参照してみます。(*1)
 
 

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            婚姻件数・婚姻率の推移(~2015年)

 

 このグラフを見るとやはり婚姻率は下がっていることが分かります。

 

 結婚のリスク

 婚姻率がここまで下がった理由はいくつかあると思うけれど、一番影響をしているのは「結婚に対する信頼の低下」だと思います。そしてそれを引き起こしたのは、「インターネット上で結婚のリアルを知るようになってしまったから」です。
 
 「ある人との結婚」に対して信頼が高い人は、例えば相手の性格や経済力などに信頼を持つことになり、その信頼を元に自分の生活を組み立てるようになっていきます。それは結婚という性質上当たり前のことであり、そうしなければ結婚をする意味がないでしょう。子供を育てる、金銭を共有する、行動を共にする、というのは、「相手を信頼していること」をベースに成り立つ行動です。これは相手との信頼が続く限り、感情的にも経済的にも大きなメリットをもたらしてくれると思います。
 
 しかし認識しておかないといけない重要なことは、「その信頼の根拠は徐々に実際とずれていく事が多い」ということです。
 
 人は常に変わる存在です。外見も変わっていくし、性格もちょっとしたことで変わることがあります。経済力も今の時代安定したものとなるのは難しいです。結婚相手をどの様な視点で捉えて、それを根拠として相手を信頼するとしても、その根拠は将来崩れてしまうことがある意味当たり前なのです。
 
 そうした実際的な意味を考えると結婚に意味は無いのではないかと思います。日常の生活を考える限り、リスクは充分に存在しているからです。性格が合わなくなったり、経済力に不満が出てきたりしてくると、一緒に生活をするだけで感情的にも経済的にも不利益を被る事になります。
 
 そのように捉えると、結婚は大きなリスクを伴う単投資であり、金融業界では常識なリスク分散ができていません。過度に一つのものに信頼を置いてしまうため、その信頼が崩れてしまったときの影響度が大きくなってしまいます。このように、生活に準拠して結婚というものを考えると、結婚は確かに大きな利益をもたらす可能性はあるけれども、大きなリスクも確かに存在していると思います。
 
 当然、結婚を信頼しなくなると婚姻率は少なくなっていきます。「自分の生活にリスクを持ってきてしまうのなら、そんな行動は取らないよ」という人が多いのは自然なことです。現代はそのような情報がインターネット上で身近なものとなり、そのリスクをとても身近に感じてしまうのです。その帰結として、結婚を敬遠してしまう人が増えているのではないでしょうか。
 

リスクうんぬんで結婚を捉えない立場

 だけど一つ忘れてはならないのは「結婚というものは普段の生活を第一の根拠として考えるようなものではない」と考える人もいるはずということです。
 
 これはどういうことかというと、結婚はその全ての生活を一括りにして語るべきものであり、生活上に出てくるデメリットこそが結婚のメリットの一部であり、その幸せと不幸せの両方を人生に取り入れることが結婚の意義なのだ、ということです。
 
 確かにこの意見にも一理あるように思います。
 結婚生活は確かに苦難もいっぱいあるけれども、それを一つ一つ断片的に捉えるのではなく、全体の一部として捉えようと。苦難を経験して長続きしたからこそ生まれるものもあり、結婚は人生にそういう大きな要素を取り入れてくれるものなのだと。
 
 ある意味このような結婚の捉え方は、結婚というものに大きな幻想を持っているようにも感じてしまいますが、そのような幻想を持ち続けることは人間の幸せにとって重要なことなのかもしれません。幻想を抱き続け、それが人の幸せに大きな貢献を果たしてくれることは当然あるでしょう。なにせ、私達の人生は実質的に生きている意味などないので、そのような枠組みを自分の人生に取り入れるのはとても重要な事です。結婚をその一つの幻想として持っておくのは、人生にとって大きな意義があります。
 
 結婚が引き起こすリスクを、インターネットで簡単に理解できてしまう今の時代、結婚はどうなっていくのでしょうか。結婚というフィクションがもたらす幸福を信じる選択をとるのか、それともラディカルに考えて結婚というリスクをとらない選択をするのか。それとも他の選択として、結婚という手段を取らなくても、子供を出産し友人たちと一緒に育てていくという社会的な習慣も生まれるかもしれません。
 
 人間が考え出した結婚というシステムが、今の私達の時代、どう語られるべきなのか考えることは、今の社会に生きる上でとても大事なことなのではないかと思います。
 
 

余談: 祖父の死から感じた結婚、血のつながり

 
 先日、私の祖父が亡くなりました。
 その時に感じたことから、結婚と言うものを捉えてみようと思います。「死の場面から見た結婚感」ということです。(最も、この場合の死とは他者の死ですが)
 
 私の祖父は3人の息子を持っており、各々の息子達も結婚しています。そして息子たちはそれぞれ3,3,2人の子供を産んでおり、祖父から見たら合計7人の孫がいたということになります。
 
 つまり、3人の息子と7人の孫、そして3人の息子の妻、という13人の密な家族関係を持っている人達が、自分の亡骸の周りで悲しんでいた、ということです。
 
 私は、この13人は何なのだろう、と感じてしまいました。家族関係とは言いつつも、私に関して言えば、普段生活を共にすることはほとんどないし、体験をあまり共有してきませんでした。だけど確かにこの13人は密な関係を持っているように感じました。
 
 通常の友人関係で考えるならば、私はこの亡骸の前に姿を表わすことはなかったに違いありません。体験を共有する事は少なく、お互いをそこまで知らない集団に紛れることはないでしょう。でも家族関係ならばそれが日常の様に感じられるのです。これはとっても不思議なことではないでしょうか。
 
 現代社会、私達は様々な選択肢を取ることができます。人とのつながりもあらゆる選択肢があるため、嫌ならばすぐに離れるということも可能になってきています。故に長期間同じ人達と関係を続けるということが少なくなってくる可能性があります。
 
 人とのつながりも分散が進む社会の中で、家族というコミュニティは異質性を持ったものになります。それが残されていくものなのか、解体していくものなのか、どちらに転ぶのでしょうか。